浜田太 エッセイ集

その7 村(シマ)

奄美大島では、村や集落のことをシマと呼んでいる。
かつてはそのシマごとに方言が少しずつ違い会話をするだけで「この人はどこのシマ出身だ」とすぐ分かるくらい個性があった。

そのような個性が失われて久しいが奄美北部にある秋名集落は、稲作と農耕儀礼の「ショチョガマ」、「平瀬マンカイ」が一体となって残る個性あるシマである。

国指定重要無形民俗文化財でもあるこの祭りは、夜明け前、山の斜面で片屋根を男衆が揺り動かして倒し、夕方海岸の岩の上でノロ神と村人が稲霊を迎えて豊作を祝う祭りである。
この祭りを初めて見たのは、今から22年前奄美にUターンした年だった。

その頃の私は、田舎は古い、遅れているという視点ですべてを見ていた。
だから祭りに対する思い入れもなくただ撮っているだけで、全く感動もない写真だった。

10年位過ぎた頃だろうか、この祭りにどんな意味があるのだろうかと疑問に思ったとき、祭りは365日の中の一日、364日を見ずしてこの一日は理解できないと気付いたのである。
以来、秋名の日々の生活にカメラを向けたのだった。
そこには、稲作と一体化した人々の暮らしの中に全てが組み込まれていた。

2月に田興しをし、4月初旬に田植えをする。
人手が足りない時は「結い」でお互いに助け合う。
7月、台風前に稲刈りを終える。
旧暦のお盆を済ませ旧暦8月初ひのえに行なわれるのがこの祭りで、いわば収穫祭と言える。
ところが私には、違う所にこの祭りの役割が見えた。

祭りの1週間前、村人総出で片屋根造りをするのだが、そこには世代間交流と技術伝承など祭りの当日よりも大切な役割があった。
村が村らしくあり続けるという理念で人々が知恵を絞って創りあげてきたシマの姿が見えてきたのである。

気の遠くなるような時間を積み上げ創りあげてきた村(シマ)の中にこそ地域再生のカギがあるような気がする。

琉球新報社 落穂 2002.掲載