浜田太 エッセイ集

その9 おやじの顔

いつか何かの機会に書き残しておきたかったテーマに、おやじの顔がある。
子供の頃のおやじの記憶は恐い存在で、遊んでもらった事などなかった。
なぜか、顔ひげを剃っている姿が今でも脳裏に焼き付いている。

あのころの髭剃りは、安全カミソリで剃っていて、おやじは殆ど鏡を見ることなく左手でなぞりながらうまく剃っていた。
男としていつか私もあのようにうまく剃れるのだろうかと思ったものである。

私も中学生になり顔髭を剃り始めた。
当時はティーカミソリが出始めていたが、鏡を見ながらいつも恐る恐る剃っていてよく切り傷を作ったものだ。

おやじはいつ頃から鏡を見ずに髭を剃れるようになったのだろうか。
おやじの人生を考えてみた。

大正生まれのおやじは青春時代東京の書店に勤め、出征前カメラ雑誌を持って奄美に帰郷したと母から聞いた。
カメラに興味があったようだが当時は高すぎて庶民には手に入らない時代だった。
きっとカメラ雑誌を眺めて我慢していたのだろう。

そして、日中戦争で2度出征している。
戦場で死の恐怖と戦いながら鏡を見て髭を剃っていたのだろうか。
戦争体験のない私の想像をはるかに超えたところで自分の顔と向き合っていたのかも知れない。
人生を重ねることで、親からもらった顔から次第に自分の顔にしていく。
そして、いつのまにか鏡を見ずに髭も剃れるようになっていったのだろうか。

戦争のことは殆ど話さなかったおやじが、脳梗塞で倒れたのは49歳の時だった。
今では確かめようも無いが、私も49歳になり気が付いてみると鏡を見ないで髭を剃っている。
親からもらった顔を自分のものにしてきた私の人生も、おやじとは比べようもないが、多くを経験してきた。

今私の息子は13歳、そろそろ顔髭がのび始めている。
どのような人生で自分の顔髭を剃っていくのだろうか。

琉球新報社 落穂 2002.掲載